いまここ、この瞬間

晴れた日曜日の午後、

僕たちは公園に行きました。

 

その公園は、近所ではわりと大きめで、

バーベキューなんかも出来たりして、

桜が咲いたときなんかは、そりゃもうすごい人なんだ。

 

その公園にお弁当をもって、

子どもと妻を連れて昼飯をそこで食べるのが、

お気に入りなワケです。

 

10年前の自分なら、

公園に日曜日に行く人生なんてごめんだロックロック

と、言ってたりもしてたし、

今でもその気持ちがないワケでもない。

 

が、

どういうことをするかより、

誰と何をするか、しないかが重要なんであって、

いまの妻と子どもであれば、

いつでも、自由な行動や、

10年前に言っていた「ロック」という概念なんかは

実現できると思っているので、

普段はどんなことをしていても

良いと思えるようになったのです。

 

 

ご飯を食べて、

芝生を眺めていたら、そこには無数のクローバーが

生えていました。

 

ボクがいつも思っていることで、

「四ツ葉のクローバーは絶対にみつかる」

というものがあります。

 

ここで見つける

 

と宣言すれば、

そこに絶対にある

 

というのが、これまでの持論で、

実際に、過去にそう宣言したら、必ず見つけて

きたのです。

 

 

つまり、夢や目標と同じで、

「思えば叶う」

という感覚をそこに持っていたわけです。

 

 

 

ここ最近のボクは、

現状よりももうひとつ高い位置に進んでいきたい

と思うことが多かったのです。

 

そのためには、何らかのブレークスルーが必須で、

自分の選択や行動のクセを修正し、

なにかを捨て、何かを得る必要があるように

感じたりしていました。

 

 

そんな現状を打破したい

 

 

という、願いもこもっていたんでしょうね。

 

この公園で、

「四ツ葉のクローバー」を見つける

 

ことを、家族に宣言したのです。

 

 

そうして、このでかい公園の中、

まずは身近のクローバーをひとつずつくまなく探します。

 

 

 

四ツ葉のクローバーを見つけて、

「ほら、宣言すれば叶うんだぜ」

とでも言いたかったのか、

 

それとも、かっこいいところを見せつけたかったのか、

 

 

宣言した自分を追い込むかのように、

周りは、バーベキューでガンガンとトランスを流す若者や、

子どもが走り回っている公園の芝生と

にらめっこして、探すんです。

クローバーを。

 

 

いつも、

これくらい探すと見つかる

 

という時間が過ぎても、

まるで見つかる気配がなく、

自分の脳裏にも、

 

「どうも、見つからないぞ・・・」

 

という焦りも湧いてきました。

 

 

言った手前引き下がれないとか、

父親としての示しがつかないなど、

 

よくわからないことが、

頭をよぎり、

 

 

 

なぜ、四ツ葉のクローバーをみつけなくてはならないのか

という理由などはとうに忘れ、

 

見つけることが全てで、

見つけないということは許されない

 

という思考になっていきました。

 

 

あまりにも、執着していたさまが気味悪かったのか、

とつぜん、見知らぬ家族に、

 

「何をしているんですか?」

 

と質問され、

 

「四ツ葉のクローバーを探しているんです」

 

と、

平日にひとりだったら、通報されているんじゃないか

という問答をし、

 

さらに、クローバーは見つからず、

頭の中は、

 

四ツ葉のことよりも、

 

 

 

体裁

 

出来なかった言い訳

 

出来なかったら人生がどんだけ狂うかの想像

 

人のせい

 

公園へのクレーム

 

 

など、

別にボクが、四ツ葉のクローバーを探すなんてことを

言い出さなければ、発生しなかったであろう

いら立ちや焦燥が、自分から発せられていきます。

 

 

どのくらい考えていたでしょうか、

周りの喧噪は、ボクの耳には遠くに聞こえ、

いまこの瞬間に存在してるかどうかさえ、

怪しく感じたときに、

 

 

ふと、頭を

 

 

「これ、中断してみようかしら」

 

 

と思えたんですね。

 

 

 

辞めたらどんなに不幸になってしまうんだろう??

 

 

そんなことを、

 

 

漠然と

 

 

 

考えていたのですが、

しっかりと考えていくと、

 

 

四ツ葉のクローバー探しをやめたところで、

何にも起こらない。

変わる事も無いのであって、

 

 

さらにいうと、

 

自己概念が下がりそうとか、

バチがあたりそうとか

 

そんなことも無いと思えたんです。

 

 

 

 

なので、

妻に向かって、

 

「四ツ葉のクローバー無かった」

 

と振り返り、そう言うと、

 

 

どうやら、その様とわりかしずっと見ていたようで、

そっか、そりゃ残念だけど、

まぁいいでしょという。

 

その集中して探している姿だけで、

これでいいんだと思えたという。

 

 

 

別に、二人で、

四ツ葉のクローバーを見つけたら、

全てが良い方向に変わるから、

オレ探すからとか(笑)、

 

四ツ葉のクローバーを見つけたら、

1000万円が手に入るとか

言ってないんだけど、

 

 

その探すことが、何かを映し出し、

 

見つかることが大切なんではなく、

 

 

見つけようとしている瞬間も、

 

見つかったとしても、

 

見つけられなかったとしても、

 

 

 

その瞬間が、

大事なんだという、

 

 

なんとも、抽象的だけど、

とっても大事なことを、

公園に生えている

 

三ツ葉のクローバーから教わりました。

 

 

 

なんのことだかわからないでしょうが、

この体験は、

非常に大きな大きな価値になって、

いまの自分を支えています。

 

四ツ葉のクローバーを見つけたかった理由は、

最初は、

見つけてみれば、ちょっとすごいとか、

そんなくらいのハッピーが欲しかっただけで、

 

 

いつの間にか、

理由や、効果や、特典をいっぱいつけてしまったんだな。

 

 

四ツ葉のクローバーでこんな話をしてみましたが、

こんなことが、世の中には山ほどあって、

本来、引いていいようなものまで、

プライドや、言った手前とか、いまさら言えないと

いうもので行動を鈍らせている人が多すぎる。

もちろん自分も含めてだけど。

 

世の中がハッピーになるには、

「四ツ葉のクローバーなかった」

ということって必要だと思うよ。

 

 

どうしても、書き記しておきたかったので、

ブログに書いてしまいました。

 

 

 

コメント / トラックバック1件

  1. もきやまと より:

    すごいいい話だったのでコメント書きます

    たしかにこういうことってよくありますよね

    やめるっていう選択肢を選ぶ勇気も必要なんですよね

    この話、すごい好きです

    茂木大仁

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